社会で必要な仕事の順位
コロナ禍に関連して、「不要不急」とか「エッセンシャルワーク」、そして最近になって「ブルシットジョブ(牛のクソみたいな仕事…グレーバー」」という言葉まで提起されるようになった。そこで、これらの仕事を社会に必要な度合いの順に並べると、
1. 社会が回っていくのに不可欠な「EW(essential works)」、
2.不要・不急な「UEW(un-essential works)」
3.クソの役にも立たない「BSJ(bull shit jobs)」
ということになりそうである。(ただし、“クソの役にも立たない”という日本語は時代・地域で限定のようではあるが、ブルシットに対してはこの品の無い言葉がいかにも適訳と、ここでは使わせてもらう。)
では、彼の言う「クソ仕事…」とはどんなものかを見てみよう。
「BSJ」とはどんなものか
ブルシットジョブ(BSJ)の典型として、「誰も読まない書類を作ること」を挙げている。そんな馬鹿なことをする奴がいるのかという人がいたら、それは「公務員」のお仕事をご存じない方である。筆者の知る範囲では、公務員の仕事がすべて、国民の倖のためにされているとは言い難い。例えば、天下り先への利益供与や政治家の利益への忖度、やった感を見せる予算消化など、納税者が聞いたら怒り狂うような目的の仕事が、少しまたは可成り、ある。最近の政府や国会の様子を見ていると、皆さんも「あるある」と思われるのではないか。あれは、総理が相手だから、きわめて特殊なケースかといえばそうではなく、似たことは多々あるというのが、近くで手伝ってきた筆者の感想である。
このタイプの仕事をグレーバーは、強くけなしたくて「牛の糞仕事(直訳)」と呼んだのだろう。これらBSJと、“人の命を救う、公共施設の清掃をするなどのEWとは比べるべくもない” だが問題は、 “その両者に対する対価や社会的名声は仕事の大事さの度合いに反比例することである”と言っている。それは、コロナ禍の日本でも話題になった。無駄な書類を、ただ単に予算消化のために作っている公務員の方が、威張っていて高給をもらっているのが普通である。
進む仕事のBSJ化
さらにいま社会の多くの場面で、仕事のWS化が進んでいると彼はいう。“年々増え続ける書類仕事で追い立てられる教育現場などはその典型で、仕事をするふりだけで、誰も本当の意味では働かなくなる”と言っている。グレーバーさん、それはアナタの国のことで、日本ではそんなことは無いよ…と言いたいが。残念ながら、教育界における我が国の事態はそれ以上に悲惨、という話も仄聞している。そうでなければ、いまの教育現場の状況の混乱した様は理解できない。さらに、教育界に限らず、この種の仕事が他のところにも蔓延しているようなのは、どこに原因があるのだろうか。大きな課題として考えて行きたいものである。
Shitの下にはGasか
クソ仕事の下には何があるか。これは、卑俗ついでに言うなら、現物であるクソよりも軽い「屁」である。 それは、筆者もよく使うが、
4.「へ(屁)のツッパリにもならない「NUSG(no use to stop gas)s仕事←筆者創作」
である。その意味は言うまでもなく、「してもしなくてもほとんど効果がない仕事」である。地球温暖化を抑えるために、「風呂の残り湯を通りに撒きましょう」というキャンペーンがあった。市民グループではなく、国の役所だか都庁だったかが言い出したもので、筆者が思わずこの言葉を漏らした。国や都ならもっと大事なことがあるだろうと言いたかったのであるが。なお、異常高温はそれからもますますひどくなっているが、水撒きのニュースはその後あまり聞こえてこない。
「Gasのツッパリ」より下の仕事
へのツッパリよりも下に、「社会にとって有害な仕事(hazardous works)」というのを位置付けたい。そんなものはすぐ排除されて存続しないだろうと思われるかもしれないが、どっこい、常に手を変え品替えて存在し続ける。その事例は筆者が実際に見てきた環境対策に関しては、自信を持っていろいろと話せるが、これはリクエストでもあれば改めて紹介したいと思う。
ということで、ここでは「不要・不急」から始まって、さらにその下にも様々なレベルの仕事があるということを、デビット・グレーバーの近著からヒントを得て考えてみた。無理筋の話題展開だったような気もするが、時宜も得て“そうだそうだ”の声も少し期待しながら終える。
“エッセイは短く”をもって旨とする、という意見をもらっているので、今回からは短く、一息で読み切れるものにしたいと思ったものだから…。
撮影:N.H